第29回楠公研究会

【第29回楠公研究会「石清水八幡宮と大楠公 ~最強の武神・八幡大神~」開催のお知らせ】
令和2年11月27日(金)午後2時より、京都府八幡市の石清水八幡宮にて第29回楠公研究会を開催させていただきます。
ご参加希望の方は下記より参加ボタンを宜しくお願い致します。↓
Facebook: https://fb.me/e/24FUnEZgA
貞観2年(860年)創祀の京都府八幡市男山鎮座・石清水八幡宮は、宇佐神宮(大分県)・筥崎宮(福岡県)(もしくは神奈川県・鶴岡八幡宮)と共に日本三大八幡宮の一社として、歴代皇室を始め公家・武家からも篤い崇敬を受けてきました。
石清水八幡宮には、楠木正成公が建武元(1334)年の必勝祈願参拝の折に奉納した樹齢700年のクスノキが今も残っており、楠公お手植えの貴重なものとなっています。
今回は、大楠公とも深いゆかりを有する石清水八幡宮にて勉強会を開催させていただきます。
国宝に指定された御社殿での正式参拝に引き続き、清峯殿にて西禰宜様より、石清水八幡宮創祀の歴史と大楠公の事蹟等をご講話頂きます。
御本殿内では、『信長樋』もご覧頂けます。
今回も非常に貴重な回となります。
また、コロナ対策も万全に行います。
是非、多くの皆様のご参加をお待ち致しております。
日程:令和2年11月27日(金)午後2時~
集合:石清水八幡宮(京都府八幡市八幡高坊30)駐車場:有(※山頂駐車場、山麓周辺にも有り)
会費:3千円(講師謝礼・事務手数料を含む)
※但し年会費3千円未納入の非有料会員は3500円となります
【申込み・問い合わせ】
📞090-3723-4251 ✉ s6616@yahoo.co.jp(事務局:西山)
☆タイムスケジュール☆
午後1時45分 受付 於:石清水八幡宮御本殿前
午後2時 正式参拝 於:石清水八幡宮御本殿
午後2時半 講話 於:境内『清峯殿』
午後3時半 境内案内
午後4時半 解散
午後5時 懇親会 於: ガスト八幡店(京都府八幡市美濃山幸水2-3
※有志のみ・飲食代別途・駐車場有)

🚃電車でのアクセス
◇京都方面より
京都駅から近鉄電車「丹波橋駅」あるいはJR「東福寺駅」のりかえ
京阪電車「石清水八幡宮駅」下車、⇒参道ケーブル「八幡宮口駅」~「八幡宮山上駅」下車徒歩5分
◇大阪方面より
地下鉄御堂筋線「淀屋橋駅」あるいはJR環状線「京橋駅」からそれぞれ連絡のりかえにて
京阪電車「石清水八幡宮駅」下車、⇒参道ケーブル「八幡宮口駅」~「八幡宮山上駅」下車徒歩5分
🚗車でのアクセス
◇京都・名古屋方面より
名神高速・瀬田東JCTあるいは第2京阪道路から京滋バイパスへ
「久御山・淀IC」を降り側道(国道478号)を直進
石清水大橋を渡りすぐの信号を左折、府道13号(京都守口線)へ
御幸橋を渡り信号を直進
京阪電車の踏切を超えて右手の京阪電車「石清水八幡宮駅」ロータリーを通過
正面の当宮「一ノ鳥居」を過ぎてすぐ右側当宮駐車場へ
参道ケーブルまたは徒歩にて男山山上へ
◇神戸・大阪方面より
名神高速・大山崎ICを降り出口の信号を左折、国道171号へ
すぐ次の信号を右折、国道478号へ
2つ目の信号を右折、府道13号へ
以下、上記の名古屋・京都方面よりと同様
◇国道1号線より
国道1号「八幡一ノ坪」交差点を八幡市役所方面へ
八幡警察署・八幡市役所を過ぎ正面つきあたりの京阪電車「石清水八幡宮駅」ロータリー手前を左折、当宮「一ノ鳥居」を過ぎてすぐ右側駐車場へ

💻一般社団法人楠公研究会HP

第28回楠公研究会

葛木御歳神社

第28回楠公研究会は、9月24日木曜日午後2時から、奈良県御所市東持田269の葛木御歳神社にて開催させて頂きます。

※集合場所:本殿前
受付開始:13時45分
全国にある御歳神社・大歳神社の総本社とされ、高鴨神社(上鴨社)・鴨都波神社(下鴨社)に対して「中鴨社」とされる格式高き古社。
鴨社は南北朝時代には官軍側につき、楠木氏ともゆかりが深い神社となります。
また、宮司の東川様はとても素敵な女性宮司でいらっしゃり、懇意にさせていただいているよしみもあり、今回の研究会を心待ちに致しております。
皆様におかれましても、是非、ご参加下さいませ。
※懇親会は、葛城御歳神社境内に併設されている「カフェみとせ」にて午後4時より行います。
もちろん、コロナ対策も万全に行います。
※公共交通機関ご利用の方は近鉄御所駅から13時11分発五條バスセンター行にご乗車の上、バス停・小殿下車、徒歩約10分です。

第27回楠公研究会、建水分神社

第27回楠公研究会

第27回楠公研究会、建水分神社にて、盛況裡に開催させていただきました。

実は、建水分神社は、第一回楠公研究会の開催の地でありますが、当社を記念すべき初回勉強会の場とさせていただいたその所以とは、建水分神社が楠木一族にとって最も重んずるべき神社の一社である事に他なりません。

また、今般、コロナ禍という現状下に於いて、様々な常識が急速に大きく変容していっていますが、かような大きな変化同時に生ずる原理こそが原点回帰であると確信しています。
そのような気の流れにあり、研究会も原点に立ち返るべく、第一回研究会開催地へ回帰させていただきました。

根源を再探究する事とは、魂の蘇りと同義であると考えます。

更に申せば、建水分神社の主祭神は、宇宙万物の根源神たる天之御中主神。

その御神威が非常に強力過ぎるが故に、主祭神とされる事が極めて稀な神であり、その数少ない神社が、ここ建水分神社なのであります。

「核」なる存在なくして、この世の万物の存在は有り得ません。

国體も同じであり、日本という国體に於いては、その「核」とは男系皇統であり、これは日本という国家が存在する上で、理屈等の人智を凌駕する普遍の哲理であります。
そして、当然ながら、当時の一般的武門階級と比ぶるに群を抜いた教養の深さを保持していた大楠公は、自らの祖神たる天之御中主神が森羅万象の中核であり、そして国家が国家として営まれる摂理として、中核たる存在が必要不可欠であると認識していた事は間違いの無き事でありましょう。そして、その事を非常に重んじたからこその、大楠公の死生観が形成されていったと思われます。
当日は、岡山禰宜様の格別なるご厚遇を賜り、特別参拝として、非公開にして重要文化財である御本殿を特別お開け頂き拝観、参拝をさせていただきました。
こちらの御本殿は大楠公が命じ創建された社殿であり、そこには大楠公の御神魂も鎮まって恐らくはおられたのでしょう。
御本殿の目前に立つと同時に、無風でありながら、御本殿内部から冷んやりとした清浄にして謹厳たる霊気が参拝者の我々のもとへ流れてき、この不思議にして有難き現象に一同、驚愕の一瞬でありました。
ご参加され霊気に浴された皆様からは、勉強会終了直後から、痛みのある身体の部位が快復したとか、ご参加者様同士が不思議なご縁の輪廻により懇親会場にて再会をされた等等、様々な御霊験をご体験された等、強き御神威の示顕を感じさせられるご感想を多々賜りました。
これもひとえに、大楠公の御神威の賜物なのでございましょう。
今般、ご参加を頂きました皆様との有難き必然なるご神縁を改めて実感しております。
神々の尊き御神威を頂かれる事により、皆様に幸多かれと祈りつつ、今後も尚一層精進して参りたく存じております。
尚、YouTube一般公開版につきましては、御本殿内や小楠公直筆扁額等の非公開の内容のものに関しまして、有料会員様限定での公開とさせていただいております旨、何卒御理解の程、宜しくお願い申し上げます。
また、勉強会では手指消毒、マスク着用を促し、密の発生せぬ屋外にて研究会を開催する等、コロナ対策に充分に留意しつつ、開催させていただきました事も付記させていただきます。
(※写真撮影時以外はマスクを着用しております事、ご承知おきください)

物部神社

物部神社


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは、物部神社にいます。7月27日 ・ 島根県 大田市

古代武門を誇る物部氏の祖神・宇摩志麻遅命(うましまじのみこと)を奉斎する島根県大田市の物部神社へ。

天照大御神より天孫族の証として授けられた十種神宝(とくさのかんだから)を奉じて河内交野に降臨、大和国を治めた饒速日命(にぎはやひのみこと)の子に当たる。

神武天皇御即位にあたり、神武東征の熊野上陸時に熊野神の毒氣によって疫病禍に陥るという危機に遭遇された神武天皇御一行に対し、霊夢による御神託を受けて授けられた御神刀・布都御霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と十種神宝とを奉斎して天皇の天業恢弘を助けられた。

また、我が国初めの神官として、神武天皇の為に鎮魂祈祷を斎行した。

この事蹟以降、物部氏は神祇を司る名門として十種神宝を、また、古代武門として布都御霊剣を石上神宮にて奉斎継承すると伝わる。

時代を経て、飛鳥時代には、神祇を司る名門家として、外来宗教たる仏教を推す蘇我氏と対立する事となったのも皮肉とはいえ当然の流れといえる。

日本平定後、宇摩志麻遅命は、故郷たる大和国は天香山によく似た、物部神社奥宮が鎮座する八百山を終の住処と定められ、鶴に乗って降臨され、お神酒を入れる神聖な土器である厳瓮(いつべ)を据えてこれを奉斎した。

この地は謂わば、大和国の石上神宮の元宮たる聖域である。

宇摩志麻遅命が降臨直後に腰掛けられた岩も境内に現存している。

武勇の誉れ高い祭神が鶴に乗っていたことから、物部神社の御神紋は、勝運を象徴する真紅の日神を背負った日負鶴(ひおいづる)とされる。

御本殿右側に鎮まる摂社「後神社」はとても不思議な御神氣に溢れていた。

近づくと、御神木が大地より神氣を吸い上げておられる轟音を聴き、この上無き畏怖の念に駆られた。

後神社の右隣りの摂社・一瓶社(いっぺいしゃ)は、宇摩志麻遅命がこの地を平定した時に、三つの瓶(かめ)を三カ所に据えたと伝わるが、その一番目の瓶が据えられたのがここ一瓶社である。

また、二番目の瓶は三瓶山麓の浮布池(うきぬののいけ)に浮かぶ島の邇幣姫(にべひめ)神社、三番目の瓶はこれも三瓶山麓の神社・三瓶大明神(現在の三瓶山神社)に祀られたことから、三つの瓶が奉斎された山を「三瓶山」と名付けた。

♯霊夢、♯日本最強の武門、♯物部氏の祖神、♯日本初の神官が最近の私の導きの流れから感じるキーワード。

そして、昨夜の貴き霊夢に託されたものを確信した。

人間界では到底見る事の出来ぬ幽界にて、神々がとても激しく動いていらっしゃる大いなる御力を感じてらならぬ。

〈国引きの聖蹟・三瓶山につづく〉



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金屋子神社

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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは、金屋子神社にいます。 島根県 安来市

島根県安来市広瀬町に鎮座する金屋子神社は、全国の製鉄業社の総氏神にして、金山彦・金山姫信仰の総本社にあたる非常に由緒深く、同時に、謎に包まれた古社へ、恵みの雨の中、出雲の山深くに坐す金屋子信仰根源神、そして降臨の地たる奥宮へ参拝に上がらせていただいた。

「日本最古たたら製鉄の祖神・金屋子神」

日本最古の製鉄は、出雲発祥の「たたら製鉄」に端を発するが、たたらの秘伝を民に伝えたのが、遥か昔に出雲の地へ降臨した金屋子神社創祀に深く関わる金屋子神という女神である。

金屋子神は、播磨国の岩鍋(現・兵庫県宍粟市)の地の人々の雨乞いの祈願を受けて一旦はかの地に降臨したものの、そこでは安住の地を得る事が叶わず、「我は西方を主とする神なれば、西方に赴き良き処に住まん」と言い残し、白鷺に載って西方へ飛び立ち再び゛出雲の現在の金屋子神社奥宮の鎮座する地・出雲奥非田の山頂へ降臨、そこに植わっていた桂の木にて羽を休めていたところ、偶然にそこを通りかかった、この地の住人・安部正重と出会う。

金屋子神は安部氏に「吾は金山彦天目一箇神なる金屋子の神である」と告げ、これを聞いた安部氏は大いに畏れ直ちにこの桂の木の傍に神殿を築き、安部氏自らが宮司として金屋子神を丁重に迎えお祀りした。

金屋子神も、安部氏の崇敬心に応えるべく、自らを鍛冶技師「村下(むらげ)」と名乗り、当地の人々に秘伝たる「たたら」の技術の伝承敷衍に努めた。

以後、代々、安部氏が宮司職を務めている。

「たたら製鉄」とは、鞴(ふいご)を用いて風を送り込む事によって火力を高め良質の鉄鋼を生成する技術であり、その技術の伝播によって石見銀山を始めとした全国の銀山はもちろんの事、鍛冶鋳物業全ての鎮守神として崇められ、現代に至るまで鉄鋼業全ての職場に於いては必ず金屋子神を奉斎している。

我が国の技術発展に大いに寄与し大いなる御神威を誇る金屋子神であるが、他方では、謎めいたエピソートを幾つか有している。

・犬が大嫌い。理由は、三つ目の犬に噛まれた傷が元で亡くなったから。

・ある日、三つ目の犬に吠えられ追いかけられて、逃げようとしたところ、蜜柑と藤の木に捕まって助かったので、蜜柑と藤は大好き。

・安部氏と出会った桂の木は大好きな御神木。

・また、ある日、三つ目の犬に再び追いかけられて逃げようとしたところ、麻につまず゛いて転倒し、犬に噛まれた怪我が元で亡くなってしまった為に、犬と麻が大嫌い。

・鉄不足に陥った際には、「たたら炉の周囲の柱に亡くなった者の死骸を吊るせ」と神託を下し、その通りにしたところ、大量に鉄を採る事が出来たという逸話も伝わる。

・自身が女性なので、女性が大嫌い。なので、現在でも、鍛冶関係の作業場は女人禁制。

時を経て、金屋子神は、金山彦・金山姫・天目一箇神と同一視されるようになっていった。

一方、「古事記」では、伊邪那美命が火之迦具土を産んだ際に大やけどを負い、病床て゛罹かれた嘔吐物から金山毘古神、金山毘売命が生まれたとあり、「日本書紀」の金山彦生誕の描写について「枯れ悩み(かなやま)こし悶熱懊悩因為吐」、則ち、伊弉冉命の全ての力が枯れ悩みこした挙げ句、大やけどによって激しく苦悶した一連の症状をも一つの「神事」と捉えている。

また、「金屋子」という社号そのものが「枯れ悩み児」なる意味を表す事に照らせば、この地が、伊邪那美命の終焉の地である事も示唆しており、この地で亡くなった伊邪那美命はその後、現・東出雲町の「黄泉比良坂」へ埋葬されたと考えられる。

また、金山神を奉斎する南宮大社や天目一箇神を奉斎する多度大社等多くの鋼鉄神が鎮座する地域は古来からの鋼鉄の産地であるが、その御神域近くの不破の関が非常に重視された事、この地を日本武尊が通られた事、天武帝や元正帝、聖武帝等各御代に於いて不破近辺が御巡幸のルートとされた事などを鑑みれば、不破周辺か゛古来からの鋼鉄の産地であり、その事が当時、非常に重要であり尚且つ聖地として捉えるべき一大要素であった事が窺われる。

また、金屋子神と同視される天目一箇神は風を司り、風神の鎮まる八風峠の麓に於いて御神威を誇るが、これは「たたら神」たる金屋子神ならではの特徴であり、鞴の風が尊ばれた事、そして、日本武尊をも破った、同じくたたら由来の神である伊吹大神の御神威への敬仰がそれらの風信仰へと繋がっていった。

日本武尊の辿られた道は鉱脈の道であったし、その鋼鉄技術の発祥の地が出雲であったのだ。
それが証拠に、伊吹の神は八岐大蛇の化身であり、これを退治すべく伊吹山に赴いた日本武尊は、謹みの心を忘れていた為に伊吹大神の猛烈なる御神威によって退けられる事となる。
「祟り」という言葉があるが、この語源は「たたら」にあり、元来は大いなる御神威への畏れを表すものであった。

神々の御神威が非常に偉大なるものである事を古代の人間はよく認識していた。

ましてや、我か゛国は神国である。

未た゛にコロナコロナとマスメディアが一斉連呼の扇動行為に及び、国民は自らを生かし守護くださっている神の存在を顧みず、扇動工作に易々と呼応するが如く只やみくもに不安を掻き立てられ右往左往するという有様であるが、何よりもまず、この国か゛神国であるという事を今一度、我々神州の民はしっかりと自認し、その覚悟と胆識、そして誇りを再び思い出さねばならない。

コロナ禍とは、神の下されし警鐘である。



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第26回楠公研究会「伊勢神宮の源泉・大神神社・国難からの神国日本再興」

第26回楠公研究会


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第26回楠公研究会「伊勢神宮の源泉・大神神社・国難からの神国日本再興」開催させていただきました。

伊勢神宮創祀は、第十代崇神天皇御代の疫病禍に端を発しています。

そして、大神神社は伊勢神宮創祀の源であり、元伊勢の元始たるお宮。

出雲大社とも深い御神縁を有しておられます。

南北朝時代には、南朝帝から厚い崇敬を受けた大神神社は、官軍側につかれました。

この事蹟からも、南朝帝が目指されたものが日本の国體の中興であった事を窺い知る事ができます。

今般のコロナ禍は、我々日本人に多くの教訓をもたらしました。

神国たる我が国の長い歴史に於いて、先人らの叡智によって乗り越えてきた多くの国難には、災害もあれば疫病禍もありました。

それら先人達の叡智の積み重ねの上に、今の日本が、我々が、神々と共に在る事を今一度思い至り、敬虔なる祈りと謹み深き感謝の念を決して忘れてはならぬと、今般の勉強会にて教えられました。

また、貴重なる楠公夫人像をご披露くださいました倉田様に感謝申し上げます。

大変ご丁重なるご教示を賜わりました大神神社神職様に厚く深謝致します。

また、お足元の悪い中、ご参加くださいました皆様、共に国體の真髄を学べました事をとても嬉しく存じます。

誠にありがとうございました。



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出雲大社 出雲北島国造館

-出雲北島国造館


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは山下 八栄子さんと出雲大社 出雲北島国造館にいます。7月11日 ・ 島根県 出雲市

天穂日命(あめのほひのみこと・天照大神の第二の御子神で、御神勅により大国主大神に神勤奉仕された神)の御末裔に当られる出雲国造北島家御当主・北島建孝様に御挨拶に上がらせて頂き、北島国造館にて正式参拝のお導きを賜わりました。

元弘の変の折には、同じく官軍側として後醍醐天皇に尽くされた歴史もあり、600有余年の時を経てのご縁に感無量でございます。

連日の大雨のお天気模様でありましたが、出雲の全ての参拝の結びの一瞬、奇跡的に空に青空が広がり、大國主大神様の偉大なる御神威に感謝の祈りを捧げさせていただきました。

神々への感謝と国の護りの祈り、そして、親孝行の旅の結びは、空と同じく、心も晴れ晴れと浄く澄み渡りました。

大変ご丁重なるおもてなしを賜わりました北島様、ご縁のお導きをくださいました北島国造館の安田様に心より厚く深謝御礼を申し上げます。
誠にありがとうございました。



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出雲大社

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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは山下 八栄子さんと出雲大社にいます。2020年7月10日 ・ 島根県 出雲市 ・

出雲の大國主大神様を厚く崇敬してやまぬ母を誘い、神々への感謝を捧げる為、そして、親孝行の為の旅へ。
父が亡くなってからの母は、一人では遠方に行く事が叶わず、出雲大社へ参拝したいと日々願いつつも、なかなか参拝できずにいたからの、出雲への参拝および親孝行の旅でした。

出雲大社では、誠に有難き大國主大神様のお導きを賜わり、正式参拝をさせていただきました。

なんと有難くも格別なるご配慮を賜わり、瑞垣内の大國主大神様の御前にて参拝をさせて頂けました事、これ以上無き幸せでございました。

折からの雨模様でしたが、瑞垣内では暫し雨が止み、大國主大神様の大いなる御神威を感じました。

八足門内の瑞垣内は写真は不可でございますので、八足門前でのお写真とさせていただいております。

以前より、里帰りの際には必ず出雲大社様へ参拝に上がらせていただき、大國主大神様へ日々の感謝のご挨拶を申し上げさせていただくようにして参りました。

森羅万象に於ける最も重儀な哲理たる幽界の日沈を司る為、西方を向いてお鎮まりになられるていらっしゃる大國主大神様の御前で、母は大いに感謝、感激し、ただひたすら祈りを捧げさせて頂いておりました。

普段はややもすると怠りがちな母への孝行をさせていただけたならば、それだけで嬉しく感じています。

神々と先祖、父祖、両親に感謝の祈りを捧げると共に、大変な災害に見舞われております九州の皆様のご無事と1日も早き平安な日々の回復とを心より願わせて頂きました。

神々への畏れと感謝、敬虔な謹みの祈りと共にあるべき日本民族の原点回帰が切に求められる時局に至っており、神国の中興が大きな課題と肝に銘じ、今後尚一層、その大義の為に精進に努めて参る事を、大國主大神様へお誓い申し上げました。

この度のお参りにて、多くのご教授を賜わり大変お世話になりました出雲大社・川谷様に、心より厚く深謝御礼を申し上げます。



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稲蔵神社

稲倉神社-


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは稲蔵神社にいます。
7月7日 2:40 ・
奈良県生駒山麓に、鬱蒼と生茂った、少し薄暗い雰囲気のここ稲倉神社へ。
ここは紀元以前の古代から「神宿る巨岩・磐座」の霊験あらたかなる聖域として厚く崇敬されてきた。
同じく生駒山麓に鎮座する往馬大社と並び、生駒山の神々の坐す神域となる。

境内は昼尚薄暗いが、いざ、鳥居をくぐるり、鬱蒼とした森に封じられた境内の奥からは強い御神威を感じる。
余りに強い御神威を発する為に、鎮守森で封じているのかもしれない。

御祭神の生魂(イクタマ)は生命の神様で 生きる為の最も大切な「命を守る」神。

遥か古代、九州高千穂の天孫・瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天磐船に載り降臨する前、生駒山に降臨したもうひとりの古代大和の王であり、もう一人の天孫であった饒速日尊(ニギハヤヒノミコト)もまた、現在の生駒山系である「哮峯(タケルガミネ)」に天磐船にて降臨、境内に鎮まるご神体の稲倉神社境内の巨大磐座「烏帽子岩」に饒速日尊が降臨、その際、共に天下った尊の「生魂」と「大宮能売御膳神」の二神の命の神も宿り、同時に鎮まった。

間も無く、饒速日尊は、同じく生駒山系の鳥見・白庭山に移った。

かくして、瓊瓊杵尊に互角に拮抗する強大な力を有する事となり、生駒山系を主要拠点した一大勢力となった。

しかし、神倭磐余彦(後の神武天皇)が宮崎から紀州を迂回し大和へと進軍して来、磐余彦の軍と饒速日尊の軍とが対峙した折、饒速日尊は争いの激化を避ける為、自ら、降る事を選択しようと考えた。

そうした処が、饒速日尊の妹・登美夜毘売(トミヤヒメ)が嫁いでいた長髄彦(ナガスネヒコ)は、義理の兄たる饒速日尊の決断に従わず、徹底抗戦の構えを崩さなかった為に、遂に、饒速日尊は義理の弟たる長髄彦を自らの手で暗殺、倭磐余彦に降った。

更に興味深いのは、稲蔵神社宮司家は、饒速日尊の重臣・長髄彦の末裔が務めていらっしゃる。

一旦は、仲違いに至った義兄弟でしたが、今は、義弟末裔が、自らを裏切り見捨てた義兄神を祖神としてお祀りされていらっしゃるのであり、これもまた、義に熱い大和民族の国柄であると、大いに考えさせられるものがある。

自身の末裔である神武天皇に王権を譲った饒速日尊は、その後は活躍の場を裏舞台に替え、饒速日尊以降、一族に伝わる十種神宝を以て、命と魂に活力を与える秘伝を密かに護り伝えつつ、大和朝廷と皇室を陰から支える事となった。

十種神宝の内容は以下の通りである。
* 沖津鏡(おきつかがみ)
* 辺津鏡(へつかがみ)
* 八握剣(やつかのつるぎ)
* 生玉(いくたま)
* 死返玉(まかるかへしのたま)
* 足玉(たるたま)
* 道返玉(ちかへしのたま)
* 蛇比礼(おろちのひれ)…大国主の神話との関わり
* 蜂比礼(はちのひれ)  同上
* 品物之比礼(くさぐさのもののひれ)

これらの経緯によって、稲倉神社磐座に降臨された饒速日を祖とする物部氏が、十種神宝等を始めとした兵器の製造・管理を司ってきた訳であり、これが石上神宮の鎮座にも深く関わっています。

生駒山系一帯には、饒速日尊降臨の地が交野市「岩船神社」、河南町「岩船神社」、山山頂近くの「饒速日山」、生駒山山頂「饒速日山」等等、幾つかの降臨地の候補が伝わるが、いずれにせよ、生駒山系一帯が饒速日尊の支配拠点であった事は間違いない。

境内には「神変大菩薩(ジンペンダイボサツ)」の御神名も刻まれ、即ち、役行者を祀っているが、こちらは古来の神仏習合の名残と言える。

明治時代以降は、地元では武運長久の「玉避け神社」の神として信仰されるようになった。

稲倉神社氏子区域たるここ小明村から日清日露戦争に13名が出征、不幸にも1名の戦死者を出したものの、12名との人々が無事帰還でき事蹟を鑑みれば、そこには人智を遥かに凌駕した神の力を禁じ得ない。

今では、無病息災・交通安全・病気平癒の御神威で知られ、今も尚、多くの方々に尊崇されている。



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長瀬神社

長瀬神社


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは、花井錬太郎さんと式内 長瀬神社にいます。 ・ 三重県 鈴鹿市 ・

古来、「武備塚古墳」と称され、日本武尊ゆかりの能褒野原に鎮まる墳墓の一つとして厚い崇敬を受けてきた地に鎮座する長瀬神社は、日本武尊外二十五柱を祀り、明治までは「武備神社」と称された。

江戸時代、大きな権勢を誇った亀山藩は、江戸中期になり日本武尊御陵探索が始まるとすぐさま、自領内に於いて、日本武尊ゆかりの墳墓と伝わる武備塚こそが日本武尊御陵であると公に宣言した。

以後、藩威発揚の心柱として、亀山藩の厚い崇敬を受けた由緒深き古社である。

明治以降は、鎮座地名を採って現社名に改名されている。

「武備(タケビ)」とは、日本武尊家臣団のうち武門を主とした家臣団の呼称であり、時代が下り「建部(タケベ)」と字が変遷していき、近江国一之宮・建部大社の社名にも深く関わっている。

同じく能褒野原に同時期に造営された円墳で、加佐登神社御本殿奥の白鳥塚古墳に比べると一回り小さい事、そして、日本武尊家臣団を表す「武備」と名付けられている事から、日本武尊御陵たる白鳥塚古墳の陪塚としての意味合いが強い墳墓であるようにも感じられた。

長瀬神社駐車場一角には、古来より例祭時の相撲場とされた祭祀跡が往時のまま残されている。

日本武尊を慕い、片歌研究者として知られる建部綾足(タケベノアヤタリ)は、日本武尊の今わの際の絶唱「はしけきや 我家のかたゆ 雲居立ちくも」の句碑を武備塚上に建立した。

伊吹山下山後、体を壊した日本武尊は、足の節々を腫らし、この地に辿り着く頃には歩行困難に陥っていたが、それでも尚、家臣団「武備」らに両脇を抱えられ、引きずられるようにして、伊吹山からこの地までようやく辿り着いた。

日本武尊の今際の際の願いは、故郷・大和に帰る事であったが、遂にその願いは叶う事無く、能褒野原の地で薨去された。

この日は、長瀬神社へ向かう車移動中のみ豪雨に見舞われたが、長瀬神社に到着した途端に晴天となった。

そして、武備塚古墳の日本武尊絶唱の句碑に着いた瞬間、再び雨が降ったがそれも一瞬で上がり、長瀬神社を後にし加佐登神社へ向かう為に境内を出る時には嘘のような晴天となった。

句碑前の雨は、日本武尊家臣団の涙であったのかもしれない。



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