神武天皇聖跡・狭井河之上・顕彰碑

三輪山の麓の、山の辺の道沿いに、静かに、しかしとても厳かに、顕彰碑は佇んでいます。

嘗て、この地には、狭井川という川が流れており、この川のほとりで、神武天皇は、後に自身の后となる女性・比売多多良伊須気余理比売(ヒメタタライスケヨリヒメ)と出逢う事となります。
そして、彼女の屋敷があったのが、当顕彰碑の建つこの地でした。

『古事記』は、神武天皇と伊須気余理姫との出逢いを以下のように伝えています。

狭井川の岸辺を通りかかられた神武天皇と大久米命は、岸辺にて、七人の女性たちが遊んでいるのを見かけました。
その中にいたのが、伊須気余理姫。
実は、彼女は、大物主神の娘、要するに、大和の国の在地の神の御子であったのでした。

東征を成し遂げられた神倭磐余彦命(カムヤマトイワレヒコノミコト・即位後の神武天皇)でしたが、神の正統な嫡孫として即位なさるには、初代天皇に相応しい皇后を迎える必要がありました。
そのような時局にあって、神倭磐余彦命の家臣・大久米命(オオクメノミコト)が、后候補として推挙したのが伊須気余理姫。
神倭磐余彦命が初代天皇として即位するには、その正統性を裏打ちする為に「在地の神の娘」を娶り、天孫と国津神末孫とが融和する事が必須と考えた大久米命は、「神の御子」である伊須気余理姫こそが皇后に最も相応しいと、磐余彦命に進言します。

この際、神武天皇と大久米命、伊須気余理姫とのあいだで取り交わした歌のやり取りが、「妻問い」として伝わります。

「倭(やまと)の高佐士野(たかさじぬ)を七行く媛女ども誰をしまかむ」
(大和国の川の畔の高台を行く7人の乙女のうち誰を妻としようか)

神武天皇と比売多多良伊須気余理姫との婚儀は、天業恢弘の大変重要な役割を担いました。
三輪の神に護られる、ここ狭井河之上聖蹟は、我が国の建国に深く関わる大切な聖地と言えましょう。