能褒野神社


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは、花井錬太郎さんと能褒野神社にいます。 ・ 三重県 亀山市

今般、大変素晴らしい御縁を賜り、鈴鹿商工会議所副会長を始め鈴鹿を中心に幅広く御活躍をされていらっしゃる花井錬太郎様を(社)楠公研究会へお迎えさせていただく事となりました。

それを機に、昨今多くの御神託を頂いている日本武尊ゆかりの地へ、去る令和2年6月26日、御案内の御厚遇を賜る運びとなりました。

講師として、鈴鹿の日本武尊研究第一人者として知られる川北富夫先生をお迎えさせていただき、鈴鹿市内に残る日本武尊の足跡を巡拝させていただきました。

「YouTube山下弘枝チャンネル・日本武尊聖蹟巡拝①~能褒野神社・能褒野御陵~」

今回の巡拝ルートは、近代に宮内庁によって比定された日本武尊御陵の在る能褒野~椿大神社~日本武尊を祀りその境内に倍塚が伝わる長瀬神社~古来より日本武尊御陵として尊崇をされてきた白鳥御陵の在る加佐登神社~日本武尊の死後にその冠や装束等を納めた「宝冠塚」「宝装塚」。

日本武尊終焉地巡拝第一弾は、能褒野王塚と能褒野神社が鎮座する神域について発信して参ります。

延喜式にも「能褒野墓、日本武尊、伊勢國鈴鹿郡に在り」と明記されている事から、既に平安時代初期には鈴鹿の能褒野に日本武尊の御陵が在ると認識されていた事が判明しています。
但し、平安期の「能褒野」とは、周辺の丘陵地一帯の広い範囲を表す地名であった為、近代以降に日本武尊御陵候補地が二か所となっていく遠因となりました。

能褒野王塚は三重県内最大の前方後円墳であり、尚且つ、能褒野古墳群として十六の倍塚を有している事から、非常に強大な権威を誇る人物が葬られた事も明らかであります。

元来は強大なこの地の豪族の王墓であり、「式内社県主神社」と称された古墳でしたが、明治12年11月に内務省によって、鈴鹿最大の前方後円墳である事を第一義として日本武尊薨去の地と決定、宮内省書陵部畝傍御陵墓管区管轄とされ、現在も非常に厳格な風格を備えています。

この後に引き続き参拝する白鳥陵が最古より伝わる日本武尊御陵とされてはいますが、白鳥が鈴鹿を飛び立ち大和・河内へと飛来しそれぞれにその御神魂が鎮まったが如く、近代に元来は地方豪族の王塚であった墓所が、日本武尊御陵と宮内省によって比定された事により、日本武尊の御神魂が降臨、鎮まられ、天神地祇の祀りの同義、否、神道を習俗とする大和民族の本義の象徴たる聖地として、ここ能褒野御陵の意義は非常に大きく尊きものであるのです。

能褒野神社では、辻宮司様より格別なるご配慮により、大変ご丁重なる御教授を賜り、御本殿での参拝のお心遣いも賜りました。

また、神社では地元新聞社の取材もあり、「建武中興の本義と後醍醐天皇の目指された尊き理念を根幹から理解する為には、我が国の国の成り立ちたる原点に回帰する事が必須であり、その根幹が理解できなければ大楠公の不世出なまでの高邁なる精神の神髄を理解する事はできない、だからこそ、今般の日本武尊の聖跡巡拝が非常に大きな意義を有し、恐らくはその為に日本武尊の御神託に導かれて本日の御縁に辿り着いたのだと思う」といった事を記者様にお話しさせていただきました。

当日の6月26日は、朝から終日90%の雨の予報でありましたが、今回も奇跡が起こり、なんと予報が覆されお天気は晴れ。
一同、御神威による必然の奇跡に大いに感動、感謝の祈りを捧げさせていただきました。

椿大神社へ続く。



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