椿大神社


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは、花井錬太郎さんと椿大神社にいます。・ 三重県 鈴鹿市

鈴鹿山系の入道ヶ峰と椿ヶ嶽を天然の社とする椿大神社の創祀のルーツは、悠久なる太古の神代より奉斎されてきた猿田彦大神御陵であり、原始の大和民族による猿田彦大神信仰が椿大神社創祀の淵源である。

境内には、夏越大祓の茅の輪が設けられ、国家安泰を祈りつつくぐらせて頂き祈願させていただいた。

椿大神社が鎮座する鈴鹿市山本町は、山麓集落である為、とりわけ米料理が珍重されてきた。

中でも、鶏飯は人々が集う時の最上の馳走とされ、参拝客へのもてなし料理となり、今では椿大神社の名物となっている。

同神社境内に、伝統の鶏飯を振る舞う食堂が併設されており、今回、初めて頂戴する機会を頂いた。

出汁の効いた甘辛いしっかりとしたコクのあるタレが絡む鶏飯は絶品である。

食後、花井様より椿大神社禰宜・山本様をご紹介頂き、ご挨拶をさせていただく有り難きご縁も頂いた。

山本禰宜様から松下幸之助翁寄進の境内茶室「鈴松庵」の御茶券拝領のお心遣いを頂き、暫しゆっくりと茶室にて過ごさせて頂いた。

茶室は、鈴鹿の”鈴”と松下幸之助翁の”松”をもって「鈴松庵」と命名され、鈴松庵東側には、御影石造りの御神殿を建立、椿大神社末社「松下社」として、生前に椿大神社へ何度も参拝、厚い崇敬を寄せた翁の御霊代が奉安されている。

椿大神社の記録としての初見は、人皇第11代垂仁天皇27年(西暦紀元前3年)になってから。
この年の秋8月、猿田彦大神から垂仁天皇第四皇女・倭姫命に対し、猿田彦大神の御神徳を讃え大神ゆかりの地にて祀るよう御神託が下された。

倭姫命はこの御神託を受け、磯津川(鈴鹿川)上流『入道ヶ峰麓』の猿田彦大神御陵に於いて『道別(チワキ=椿)大神の社』を創祀、その御陵前に鎮まる『御船磐座(みふねのいわくら)』付近に、天照大神の孫神・瓊々杵尊(ににぎのみこと)と、その母神・栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)の二神を相殿として、猿田彦大神の后神・天之鈿女命と瓊々杵尊の后神・木花開耶姫命の二神を配祀、社が営まれた。

 瓊々杵尊が高天原より降臨されるに際し、天上にて数多くの道が分かれる「天の八衝」に於いて『道別の神』(チワキノカミ)として瓊々杵尊を出迎え、大神の人智を遥かに凌駕した御神威を以て、瓊々杵尊を高千穂の峰へ無事御先導された事により、肇国(ちょうこく=日本建国)の礎を成した神こそ、椿大神社の主祭神たる猿田彦大神である。

 時代が下り、人皇第16代仁徳天皇の御代、『道別』を『椿』の字に当てて社名とするようにとの御霊夢による御神託が下り、かくして、椿大神社が創建され現在に至っている。

御船磐座前には、倭姫命の甥・日本武尊とその子・建貝児王(タケカイコノミコ)とを祀る『縣主(あがたぬし)神社』が摂社として鎮座する。

 縣主神社は元来、現亀山市川崎町に当たる川崎村に鎮座し、『穂落大明神』又は『縣大明神』と称され、川崎村の鎮守社として厚い尊崇を受けてきたが、内務省による一町村一社なる小祠整理、神社統廃合政策により、明治41年(1908)に能褒野神社へ配祀、更に、平成10年10月には、椿大神社の山本行輝先々代宮司の出身地が川崎村であられた御神縁により、椿大神社境内に摂社として遷座された。 

倭姫命は、父帝・垂仁天皇の勅命を受けて、豊鋤入姫命の任を引き継ぎ、天照大神の御霊を奉斎するに相応しき聖域を求め、御霊を奉じて宇陀篠幡から近江国・美濃を巡って伊勢国へと入ったが、伊勢入国直後に倭姫命が天照大神の御霊を一時的に奉斎し仮宮としたのが鈴鹿山系の御在所岳山頂であった。

御在所岳を経て、北伊勢・野志里へ奉斎地を遷座して間もなく、伊勢一帯を統治していた猿田彦神後裔・宇治土公(ウジトコ・ウジノツチキミ)の祖である大田命が倭姫命の御前に馳せ参じ、「宇遅(宇治)五十鈴の河上(現伊勢内宮)に日本国内で最も殊勝で尊き霊地が在る」と進言した。

その進言を受けて、倭姫命がその地へ赴いた処、嘗て、天照大神が宮処として相応しいとして天上から投げ下ろされた天の逆大刀・逆鉾・金鈴等がその地に残されており、また同時に、天照大神より倭姫命へ「是の神風の伊勢国は、常世(トコヨ・理想郷)からの浪がしきりに打ちよせる国で、大和からは離れてはいるが美しい国である。

吾はこの国に居ようと思う」と御神託が下された。

早速、倭姫命は祠を建立し天照大神の御霊を鎮祭、この聖蹟が伊勢内宮創祀となっていくのだが、その初代斎王となった倭姫命こそ、倭建命の叔母であり、倭建命に天叢雲剣を授けた人物である。

長瀬神社(旧武備神社)へ続く



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