
ここは、大海人皇子、後の天武天皇を皇位に導いた桜の吉祥夢ゆかりの地で、天武天皇・持統天皇の勅願寺。
天武天皇は即位後、神国としての基盤をしっかりと確立すべく、斎宮制度を整えられました。
そして、度々、吉野へ行幸をなされています。
国家中興に於いて、吉野は非常に重要な地であった事が窺われます。
そして、後醍醐天皇の中興の理念も、吉野を知らずして語れません。
よく有りがちな解釈で、後醍醐天皇が吉野へ「お逃げになられた」などと表現する方もおられますが、これは誤り。
正しくは「御遷幸」。
国家国民を護る為、有るべき国家の中興を果たす為には、吉野でなくてはならなかったのです。
天智天皇との対立を避けるべく、弟の大海人皇子(後の天武天皇)は、ここ「櫻本坊」の前身・日雄(ひのお)を離宮とし、隠棲していました。
そんなある冬の日に、大海人皇子は、桜が咲き誇っている夢を見、何らかのご神意を感じました。
そして、役行者の高弟・日雄角乗(ひのおのかくじょう)に、この不思議な夢について訊ねたところ、「桜の花は古来、花の王と云われる。近々皇位に着く吉兆です」と答えた。
そして、その後、実際に大海人皇子は壬申の乱に勝利し,皇位に就き、天武天皇として即位する事となります。
この大業に導いてくれた吉兆夢。
それを指し示してくれた桜の木の場所(日雄離宮)に寺を建立し、これが現在の櫻本坊となっています。
櫻本坊は、大峯山寺の護持院5箇院の1つとされる金峯山修験本宗別格本山にして、神仏習合の修験道の根本道場として今日に至っています。


