椿大神社

椿大神社


エックスサーバー

エックスサーバー

楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは、花井錬太郎さんと椿大神社にいます。・ 三重県 鈴鹿市

鈴鹿山系の入道ヶ峰と椿ヶ嶽を天然の社とする椿大神社の創祀のルーツは、悠久なる太古の神代より奉斎されてきた猿田彦大神御陵であり、原始の大和民族による猿田彦大神信仰が椿大神社創祀の淵源である。

境内には、夏越大祓の茅の輪が設けられ、国家安泰を祈りつつくぐらせて頂き祈願させていただいた。

椿大神社が鎮座する鈴鹿市山本町は、山麓集落である為、とりわけ米料理が珍重されてきた。

中でも、鶏飯は人々が集う時の最上の馳走とされ、参拝客へのもてなし料理となり、今では椿大神社の名物となっている。

同神社境内に、伝統の鶏飯を振る舞う食堂が併設されており、今回、初めて頂戴する機会を頂いた。

出汁の効いた甘辛いしっかりとしたコクのあるタレが絡む鶏飯は絶品である。

食後、花井様より椿大神社禰宜・山本様をご紹介頂き、ご挨拶をさせていただく有り難きご縁も頂いた。

山本禰宜様から松下幸之助翁寄進の境内茶室「鈴松庵」の御茶券拝領のお心遣いを頂き、暫しゆっくりと茶室にて過ごさせて頂いた。

茶室は、鈴鹿の”鈴”と松下幸之助翁の”松”をもって「鈴松庵」と命名され、鈴松庵東側には、御影石造りの御神殿を建立、椿大神社末社「松下社」として、生前に椿大神社へ何度も参拝、厚い崇敬を寄せた翁の御霊代が奉安されている。

椿大神社の記録としての初見は、人皇第11代垂仁天皇27年(西暦紀元前3年)になってから。
この年の秋8月、猿田彦大神から垂仁天皇第四皇女・倭姫命に対し、猿田彦大神の御神徳を讃え大神ゆかりの地にて祀るよう御神託が下された。

倭姫命はこの御神託を受け、磯津川(鈴鹿川)上流『入道ヶ峰麓』の猿田彦大神御陵に於いて『道別(チワキ=椿)大神の社』を創祀、その御陵前に鎮まる『御船磐座(みふねのいわくら)』付近に、天照大神の孫神・瓊々杵尊(ににぎのみこと)と、その母神・栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)の二神を相殿として、猿田彦大神の后神・天之鈿女命と瓊々杵尊の后神・木花開耶姫命の二神を配祀、社が営まれた。

 瓊々杵尊が高天原より降臨されるに際し、天上にて数多くの道が分かれる「天の八衝」に於いて『道別の神』(チワキノカミ)として瓊々杵尊を出迎え、大神の人智を遥かに凌駕した御神威を以て、瓊々杵尊を高千穂の峰へ無事御先導された事により、肇国(ちょうこく=日本建国)の礎を成した神こそ、椿大神社の主祭神たる猿田彦大神である。

 時代が下り、人皇第16代仁徳天皇の御代、『道別』を『椿』の字に当てて社名とするようにとの御霊夢による御神託が下り、かくして、椿大神社が創建され現在に至っている。

御船磐座前には、倭姫命の甥・日本武尊とその子・建貝児王(タケカイコノミコ)とを祀る『縣主(あがたぬし)神社』が摂社として鎮座する。

 縣主神社は元来、現亀山市川崎町に当たる川崎村に鎮座し、『穂落大明神』又は『縣大明神』と称され、川崎村の鎮守社として厚い尊崇を受けてきたが、内務省による一町村一社なる小祠整理、神社統廃合政策により、明治41年(1908)に能褒野神社へ配祀、更に、平成10年10月には、椿大神社の山本行輝先々代宮司の出身地が川崎村であられた御神縁により、椿大神社境内に摂社として遷座された。 

倭姫命は、父帝・垂仁天皇の勅命を受けて、豊鋤入姫命の任を引き継ぎ、天照大神の御霊を奉斎するに相応しき聖域を求め、御霊を奉じて宇陀篠幡から近江国・美濃を巡って伊勢国へと入ったが、伊勢入国直後に倭姫命が天照大神の御霊を一時的に奉斎し仮宮としたのが鈴鹿山系の御在所岳山頂であった。

御在所岳を経て、北伊勢・野志里へ奉斎地を遷座して間もなく、伊勢一帯を統治していた猿田彦神後裔・宇治土公(ウジトコ・ウジノツチキミ)の祖である大田命が倭姫命の御前に馳せ参じ、「宇遅(宇治)五十鈴の河上(現伊勢内宮)に日本国内で最も殊勝で尊き霊地が在る」と進言した。

その進言を受けて、倭姫命がその地へ赴いた処、嘗て、天照大神が宮処として相応しいとして天上から投げ下ろされた天の逆大刀・逆鉾・金鈴等がその地に残されており、また同時に、天照大神より倭姫命へ「是の神風の伊勢国は、常世(トコヨ・理想郷)からの浪がしきりに打ちよせる国で、大和からは離れてはいるが美しい国である。

吾はこの国に居ようと思う」と御神託が下された。

早速、倭姫命は祠を建立し天照大神の御霊を鎮祭、この聖蹟が伊勢内宮創祀となっていくのだが、その初代斎王となった倭姫命こそ、倭建命の叔母であり、倭建命に天叢雲剣を授けた人物である。

長瀬神社(旧武備神社)へ続く



アフィリエイト

アフィリエイト

能褒野神社

能褒野神社


エックスサーバー

エックスサーバー

楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは、花井錬太郎さんと能褒野神社にいます。 ・ 三重県 亀山市

今般、大変素晴らしい御縁を賜り、鈴鹿商工会議所副会長を始め鈴鹿を中心に幅広く御活躍をされていらっしゃる花井錬太郎様を(社)楠公研究会へお迎えさせていただく事となりました。

それを機に、昨今多くの御神託を頂いている日本武尊ゆかりの地へ、去る令和2年6月26日、御案内の御厚遇を賜る運びとなりました。

講師として、鈴鹿の日本武尊研究第一人者として知られる川北富夫先生をお迎えさせていただき、鈴鹿市内に残る日本武尊の足跡を巡拝させていただきました。

「YouTube山下弘枝チャンネル・日本武尊聖蹟巡拝①~能褒野神社・能褒野御陵~」

今回の巡拝ルートは、近代に宮内庁によって比定された日本武尊御陵の在る能褒野~椿大神社~日本武尊を祀りその境内に倍塚が伝わる長瀬神社~古来より日本武尊御陵として尊崇をされてきた白鳥御陵の在る加佐登神社~日本武尊の死後にその冠や装束等を納めた「宝冠塚」「宝装塚」。

日本武尊終焉地巡拝第一弾は、能褒野王塚と能褒野神社が鎮座する神域について発信して参ります。

延喜式にも「能褒野墓、日本武尊、伊勢國鈴鹿郡に在り」と明記されている事から、既に平安時代初期には鈴鹿の能褒野に日本武尊の御陵が在ると認識されていた事が判明しています。
但し、平安期の「能褒野」とは、周辺の丘陵地一帯の広い範囲を表す地名であった為、近代以降に日本武尊御陵候補地が二か所となっていく遠因となりました。

能褒野王塚は三重県内最大の前方後円墳であり、尚且つ、能褒野古墳群として十六の倍塚を有している事から、非常に強大な権威を誇る人物が葬られた事も明らかであります。

元来は強大なこの地の豪族の王墓であり、「式内社県主神社」と称された古墳でしたが、明治12年11月に内務省によって、鈴鹿最大の前方後円墳である事を第一義として日本武尊薨去の地と決定、宮内省書陵部畝傍御陵墓管区管轄とされ、現在も非常に厳格な風格を備えています。

この後に引き続き参拝する白鳥陵が最古より伝わる日本武尊御陵とされてはいますが、白鳥が鈴鹿を飛び立ち大和・河内へと飛来しそれぞれにその御神魂が鎮まったが如く、近代に元来は地方豪族の王塚であった墓所が、日本武尊御陵と宮内省によって比定された事により、日本武尊の御神魂が降臨、鎮まられ、天神地祇の祀りの同義、否、神道を習俗とする大和民族の本義の象徴たる聖地として、ここ能褒野御陵の意義は非常に大きく尊きものであるのです。

能褒野神社では、辻宮司様より格別なるご配慮により、大変ご丁重なる御教授を賜り、御本殿での参拝のお心遣いも賜りました。

また、神社では地元新聞社の取材もあり、「建武中興の本義と後醍醐天皇の目指された尊き理念を根幹から理解する為には、我が国の国の成り立ちたる原点に回帰する事が必須であり、その根幹が理解できなければ大楠公の不世出なまでの高邁なる精神の神髄を理解する事はできない、だからこそ、今般の日本武尊の聖跡巡拝が非常に大きな意義を有し、恐らくはその為に日本武尊の御神託に導かれて本日の御縁に辿り着いたのだと思う」といった事を記者様にお話しさせていただきました。

当日の6月26日は、朝から終日90%の雨の予報でありましたが、今回も奇跡が起こり、なんと予報が覆されお天気は晴れ。
一同、御神威による必然の奇跡に大いに感動、感謝の祈りを捧げさせていただきました。

椿大神社へ続く。



アフィリエイト

アフィリエイト

金剛山麓まつまさ

金剛山麓まつまさ


エックスサーバー

エックスサーバー

楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは、金剛山麓まつまさにいます。  大阪府 南河内郡

久々に千早赤阪村の「まつまさ」へ金剛山カレーを頂きに参りますと、千早城の模型が展示されており、千早城御城印という記念の御朱印もお受けする事ができました。

戦後、ほんの数年前まで、ほとんど知られる事が無かった楠公の事蹟に対して、昨今、光が当てられ、俄に、少しずつではあるものの盛り上がりを見せつつある事が嬉しくてなりません。

私の幼い頃では、想像もしていなかった程の一大ブームとも感じます。

この不世出なる事蹟は、日本精神を貫く大切な要であり、一時のブームで終わらせてはならぬと思っています。

存道館の平泉澄先生の千早城讃文のお言葉は、真っ直ぐに貫かれる清き強き皇国大日本の国體そのものを表しておられると感じました。

私自身の思いは、いつ何時如何なる事が在ろうとも一分もぶれる事は有り得ません。

何故ならば、私の身血隅々に至るまで、祖先からのDNAが刻み込まれているからであり、私の前には私の命の続く限り一本の道のみしか存在せず、ただそれに沿って進む以外に、何らの選択肢は存在しません事も改めて茲に申し添えさせていただきます。



アフィリエイト

アフィリエイト

「神戸ともみ組発足記念稲田朋美代議士講演会・併神戸ともみ組山下会長誕生日会」

神戸ともみ組発足記念


エックスサーバー

エックスサーバー

☆「神戸ともみ組発足記念稲田朋美代議士講演会・併神戸ともみ組山下会長誕生日会」開催のお知らせ☆

平素は「神戸ともみ組」に多大なるご理解とご支援を賜り、心より厚く深謝御礼を申し上げます。
扨、いよいよ、神戸ともみ組本格始動致します。
来る令和2年10月4日(日)正午より、湊川神社及び楠公会館にて、「神戸ともみ組発足記念稲田朋美代議士講演会・併神戸ともみ組山下会長誕生日会」と題し、神戸ともみ組発足式と稲田朋美代議士講演会を開催させていただきます。

「神戸ともみ組」を立ち上げさせていただきましてから現在で3ヶ月となりますが、その間に、非常に多くの皆様より温かいご指導と激励のお言葉を賜り、また、神戸ともみ組発足記念式の開催を待ち望んでくださるお声も多く頂戴致し、感謝に絶えません。
コロナ禍以降、日本を取り巻く世界情勢は大きな変革期を迎えております。
そんな中にあり、今後も尚一層に精進し、稲田朋美代議士という国士と共に、道義国家たる真の日本国を取り戻すべく更に猛進して参ります。

折しも、当日10月4日は、不肖私の誕生日にも当たり、講演会後の懇親会にて、皆様とご一緒させて頂けますれば幸甚に存じております。
懇親会にも最後まで稲田代議士に御臨席賜る事となっております。

全国の志を同じくされます憂国の国士の皆様にお集まりを頂き、「神戸ともみ組」発足を広く宣言させて頂くと共に、真の日本を取り戻すべく稲田朋美代議士に更に益々頑張って頂く為に、そして、その国家大義をお支えすべく、是非、多くの皆様に於かれましては御出席を頂けまして、想いを共有、更なる連携力を強めて参りたいと存じます。
多くの皆様のご出席をお待ち致しております。

お申し込みは弊会Facebookページへのメッセージにてお名前、ご住所、連絡先、参加費支払い方法、懇親会参加意向をお知らせください。宜しくお願い申し上げます。

お問い合わせも上記のいずれかか、もしくはお電話の場合は090-3723-4251(西山)でもお問い合わせにご対応いたします。

☆タイムスケジュール☆
・午後0時   集合  於:湊川神社本殿前
(本殿に向かって右側、非理法権天旗目印)
(参拝は受付を致しませんので直接本殿前にお越しください)
・午後0時10分 正式参拝
於:湊川神社御本殿
(玉串奉奠:稲田朋美代議士、山下弘枝会長)
・午後0時30分 講演会受付開始
於:湊川神社内楠公会館2階・青雲の間ロビー
・午後1時   神戸ともみ組会長・山下より発足挨拶
        来賓挨拶
        稲田朋美代議士講演
        神戸ともみ組入会のご案内
        名刺交換など
・午後3時    発足式終了
☆会費:三千円(玉串料・会場使用料・お飲み物(ペットボトル))
※ペットボトルについてお茶以外をご希望の方はお申し込み時にご相談ください。
※講演会での食事の提供はございません。各自、講演会までに昼食をお済ませいただきご参加ください。
懇親会へもご参加される方はお昼は軽めにお済ませ頂く事をお勧めさせていただきます。

午後3時半   懇親会  於:がんこJR神戸駅店
午後5時半   散会
※懇親会飲食代は別途承ります(予算:三千円、飲み放題付き)

※楠公会館青雲の間は60名、がんこJR神戸駅店は20名を予定しています。
先着順として受け付け、申し込み多数の場合は予定を超えて限界まで対応いたします。
万が一、対応人数の限界を超えた場合は「神戸ともみ組会員(当日ご入会の方も含む)」を優先させていただきますのであらかじめご承知おきください。

以上 神戸ともみ組会長・山下弘枝



アフィリエイト

アフィリエイト

楠木正成(大楠公)の山車人形


エックスサーバー

エックスサーバー

楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんが香取市を訪問。


佐原新宿東関戸区にて、楠木正成(大楠公)の山車人形を見学いたしました。
楠木正成末裔と山車人形の対面に、感動致しました。
準備された東関戸区の皆様には、感謝申し上げます。



アフィリエイト

アフィリエイト

水郷佐原山車会館


エックスサーバー

エックスサーバー

楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんが香取市を訪問。

山下弘枝さん、他5人と水郷佐原山車会館にいます。2018年6月30日 · 千葉県 香取市
本日、楠木正成(大楠公)末裔の一般社団法人楠公研究会会長・山下弘枝様が香取市を訪問。
水郷佐原山車会館を見学されました。
関係者の皆様、ありがとうございました。



アフィリエイト

アフィリエイト

☆第27回楠公研究会「楠木氏の氏神・建水分神社 〜皇国の普遍の哲理への原点回帰・天之御中主大神と楠木氏〜」開催決定

第27回楠公研究会

☆第27回楠公研究会「楠木氏の氏神・建水分神社 〜皇国の普遍の哲理への原点回帰・天之御中主大神と楠木氏〜」開催決定のお知らせ☆

8月19日(水)午後2時より、大阪府南河内郡千早赤阪村の建水分神社にて「第27回楠公研究会」を開催させていただきます。

楠木氏の氏神の一社である建水分神社は、崇神天皇5年(322年)創建の古社であり、延喜式神名帳に「河内国石川郡水分神社」と記されている由緒在る神社です。主祭神は森羅万象宇宙すべてを司る宇宙根源神・天之御中主神であり大楠公も厚く崇敬しました。宇宙根源の哲理と皇国の普遍哲理とを深く理解していたからこその大楠公の生き様死に様があったのです。楠木一族の真柱となったものを学んでまいります。
※マスク着用等咳エチケット等の御協力に宜しくお願い申し上げます。

☆日時:令和2年8月19日(水)午後2時~
(※受付:午後1時45分~)
☆集合場所:建水分神社絵馬殿
(大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分357番)
☆会費:有料会員(年会費3000円納入の方)3000円
非有料会員3500円(※玉串料・講義料・事務手数料込み)
☆当日タイムスケジュール☆
午後1時45分~ 建水分神社絵馬殿にて受付開始
午後2時~    正式参拝
午後2時半~   絵馬殿及び社務所内和室にて講義
午後4時     解散
午後5時~ 懇親会(希望者のみ、飲食代別途)
☆アクセス☆
公共交通機関利用
・近鉄長野線「富田林駅」下車、金剛バス(~20分)・水分停留所(徒歩1分)又は水分神社口停留所(徒歩0分)
・近鉄長野線 富田林駅下車、タクシー(~15分)
(※富田林駅前にタクシー乗場あり)
車(高速道)利用
西名阪道  藤井寺IC~国道170号線~国道309号線
阪 和 道   美原北IC・美原南IC~国道309号線
阪神高速  三宅~国道309号線

ご参加ご希望の方に於かれましては、弊会事務局📞090-3723-4251、✉️ s6616@yahoo.co.jp(担当:西山)までご連絡頂くか、下記よりお申し込みくださいませ。

☆第27回楠公研究会・参加申込



アフィリエイト

アフィリエイト

香取神宮を参拝

香取神宮


エックスサーバー

エックスサーバー

楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんが香取市を訪問。

香取神宮を参拝されました。

香取神宮では、午後3時から、夏越の大祓の「大祓式」が執り行われました。

酒席に御誘い頂き茨城の酒を交わして参りました。

日本の国体のルーツに迫る話に華が咲き。ついつい深酒に??

塩原 信夫様 お誘い頂きありがとう御座いました。
本日も暑い中 タイトなスケジュールと思います。
皆さま暑さ対策を万全に楽しんでください。



アフィリエイト

アフィリエイト

長岡の楠公社(水戸浪士の毛塚)を参拝

長岡の楠公社-


エックスサーバー

エックスサーバー

楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは茨城県を訪問され、茨城県茨城町長岡の楠公社(水戸浪士の毛塚)を参拝されました。
参拝後、茨城県庁を表敬訪問されました。

大老・井伊直弼襲撃を企てた水戸浪士が、江戸へ向かう途中、南北朝時代の尊皇の武将・楠木正成(大楠公)一族の忠誠にならい、髪の毛を断ち切り、長岡宿へ埋めて、襲撃の成功を祈りました。

そして、1860(安政7)年3月3日、江戸城桜田門外にて、水戸浪士17名と薩摩藩の有村次左衛門が、大老・井伊直弼を暗殺しました。

明治になってから、長岡の住民が、埋めてあった水戸浪士の毛を掘り返して、長岡字天徳寺に塚を作って埋めました。

そして、塚の上に、楠公社を建立しました。

水戸浪士の毛塚の隣には、石碑が建っていて、金子孫二郎・高橋多一郎の他、井伊直弼を襲撃した水戸浪士17名と薩摩藩の有村次左衛門の名が刻まれています。

高橋多一郎が詠んだ歌が刻まれている石碑が、垣根の陰にあります。

「菊水の 清き流れを長岡に 汲みて御國の塵を洗わん」

桜田門外の変に向かう前に、この長岡の地で、高橋多一郎が詠んだ歌です。

高橋多一郎は、桜田門外の変の実行部隊では無いが、桜田門外の変後、大阪四天王寺にて追手に捕らえられそうになり、子と一緒に自刃しました。

大阪四天王寺にての自刃の際、高橋多一郎が詠んだ時世の句です。

「鳥が鳴く 東健夫の まごころは 鹿島の里の あなたぞと知れ」

この水戸浪士の毛塚は、1974年9月14日に、茨城町の史跡に指定されました。

毎年、旧暦の3月3日には、氏子によって、慰霊祭が行われるそうです。

境内には、「茨城百景楠公社」の碑が建っています。

今は住宅が建って、景色が遮られてしまったが、かつては、眼下に涸沼や田園地帯を見渡せる景勝地だったと思われます。



アフィリエイト

アフィリエイト

御神託を受け、日本武尊の軌跡巡拝

日本武尊


エックスサーバー

エックスサーバー

楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは伊吹山頂にいます。

伊吹山頂にて、今般の一切の禍を封印すべく。
「伊吹山頂の荒ぶる神の真の姿 ~首都圏緊急事態宣言解除の日・令和2年6月19日に下った御神託を受け、日本武尊の軌跡巡拝~」

令和2年6月19日、最後に残されていた首都圏緊急事態宣言解除が決定。
実は、その決定の半月前、宣言解除日決定前に、6月19日に伊吹山頂の日本武尊の聖蹟を拝するよう御神託を感じ、雨模様の天候ではありながら決行した。

それは、遡る事約半月前の伊吹山山頂を目前にした折、6月19日に改めて来るよう御神託が下されたと確信していたからである。

東国征伐を終えて間もなく、日本武尊は、結婚の約束をしていた尾張国造家の娘・宮簀媛と結婚をする。
景行天皇40年、日本武尊は近江の胆吹山(いぶきやま)に、在地大豪族・伊福氏が祖神として祀る荒神の存在を聞き、かような神等素手で退治し、伊福氏等難無く服従させてやるとばかりに、倭姫より身から離さぬようにと授けられた天叢雲剣を外して妻の宮簀媛(みやずひめ)の実家である尾張国造家、則ち、現在の熱田神宮宮司家に置き、徒歩で向かわれた。

伊福氏とは、出雲より、「息吹」というたたら製鉄の技術をここ不破の関一帯に伝え、この地に根付き、代々、たたら製鉄技術によって大きな権威を誇った一族で、彼らが祖神として祀ったのが八岐大蛇の荒御魂であった。

また、天照大御神の御代まで遡れば、素戔嗚尊が出雲に於いて八岐大蛇を退治、その尾から出てきた天叢雲剣を天照大御神に捧げた処、天照大御神は「これは、以前、伊吹山頂にて私が無くしてしまった剣である」と大層喜ばれたと伝わる。

日本武尊より以前に、既に天照大御神御自身が伊吹山頂を目指された事も判明したが、何故、神々が伊吹山頂を目指されたか、その理由とは、大和朝廷の更なる基盤強化の一つとして、伊福氏の持つ特殊技術を大和朝廷に組み込ませるという重要課題であったからに相違無い。

日本武尊が胆吹山に赴く道中、牛程の大きな白い猪に出会う。
武尊は、「これは山の神の家来だな。
帰り道で相手になってやろう」と大きな声で威嚇してやり過ごした。

間も無く、胆吹山に登頂しようとするや否や、突然、視界を遮る濃い霧と大風と共に激しい雹が降り出し行く手を阻んだ。
実は白い猪は山の神の家来ではなく山の神そのものであり、日本武尊が山神を軽んじる発言をしたのみならず、山の神を威嚇した為に、遂に山の神の逆鱗に触れ、山の神は毒気を放つ大蛇となって道を塞いだ。

この時に受けた毒気が日本武尊に致命的打撃を与える事となってしまう。

雹に打たれ、寒さの為に体力を著しく消耗した日本武尊は、養老山系の霊泉「居醒泉」を飲み、山麓の薬草を頂き、一旦、正気を取り戻したものの、その後も体調は悪化し続けた。

その後も製鉄神を従えるべく鉱脈に沿って行軍するも、現在の養老山麓の多芸野では、「今は歩くこともままならなず、足がたぎたぎと軋む」と弱音を漏らしている。

その行軍と途上、鈴鹿国能褒野にて、最期の時を知った日本武尊は、「大和は国のまほろば たたなづく 青垣山こもれる 大和しうるはし」と辞世の御歌を遺し、没する。

武尊の死の報を聞いた妻や子供たちは、野褒野に駆け付けた処、その御陵から大きな白鳥に姿を変えた日本武尊は天空高く翔び立ち、棺には武尊の衣のみが残された。

白鳥は、が能褒野、大和琴弾原、河内古市を経て天空へと天翔けていった。

実は、今年に入ってから、出雲の神々が降臨する稲佐浜、そして、伊福氏が同じく崇めた金山彦神を祀る南宮大社に於いて、大きな白鳥からの御神託を拝受した。

今般の伊吹山頂は、その御神威を遵守すべく、必ず登頂せねばならぬものであった。
二日に亘り、登頂参拝を行ったが、一日目は日本武尊の和御魂を、二日目は荒御魂を、それぞれの姿を変えてお見せになられた。
殊、あらん限りの御神威を放出してその偉大さを我々に見せ付けられた荒御魂の凄まじさは言葉では表現できるものではない。
同時に、これ程の大きなお力を以て、現代に於いても尚、国土国民を御守りくださっている事への感謝と畏怖の念を新たにした。

山頂には、やはり出雲との関わりの深さを示すべく、素戔嗚尊に垂迹したとされる薬師如来を本尊とする伊吹山寺奥の院「覚心堂」が建立されていた。

下山する時、何度か、荒ぶる何かに神憑りされたような、まるで発狂し暴発しそうになる衝動に駆られた。
すぐさま、これは八岐大蛇の荒御魂による神憑りだな、と察し、それを振り切るべく、走った。
すると、走る私のすぐ傍らに明らかなる人の気配を感じた。
振り返り見ると、同行していたカメラマンは遠く先の方で霧に白く霞みつつ、のんびりと下山している。

人が居たのは気のせいかと、気を取り直し、更に、前を向き歩くと、再びすぐ横で気配を感じる。
足音と衣擦れの音だ。
あれは日本武尊の御神霊が傍に降臨されて下さり、八岐大蛇の荒御魂の神憑りからお護り下さっていたのだと今更ながら確信している。

最強の武神・日本武尊。
その申し子であったのが織田信長である。
信長が掲げた「天下布武」の真意とは、群雄割拠する動乱の世を帝の下に於いて、日本武尊の武の御神徳を世に布く事により、国家を一つにまとめ、平安の世を造る、という信長の強い意志の現れであり、日本武尊への誓いである。
その誓いを立てると共に、信長は伊吹山麓に、日本武尊の御神霊をお慰めし、また、その御神威を頂く為に、山の神の毒気にやられた日本武尊を助けた薬草を植えさせ、一大薬草園も築いている。

現在は、伊吹山の西南麓と東南麓に、それぞれ伊夫岐神社、伊富岐神社が鎮座し、山頂の八岐大蛇の荒御魂を今も奉斎している。

出雲と伊吹山、日本武尊と織田信長。
その系譜が明らかとなった今般の拝礼であった。

多くの事をご教授くださった神々に深謝の絶えぬ思いである。



アフィリエイト

アフィリエイト