「神戸ともみ組発足記念稲田朋美代議士講演会・併神戸ともみ組山下会長誕生日会」

神戸ともみ組発足記念


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☆「神戸ともみ組発足記念稲田朋美代議士講演会・併神戸ともみ組山下会長誕生日会」開催のお知らせ☆

平素は「神戸ともみ組」に多大なるご理解とご支援を賜り、心より厚く深謝御礼を申し上げます。
扨、いよいよ、神戸ともみ組本格始動致します。
来る令和2年10月4日(日)正午より、湊川神社及び楠公会館にて、「神戸ともみ組発足記念稲田朋美代議士講演会・併神戸ともみ組山下会長誕生日会」と題し、神戸ともみ組発足式と稲田朋美代議士講演会を開催させていただきます。

「神戸ともみ組」を立ち上げさせていただきましてから現在で3ヶ月となりますが、その間に、非常に多くの皆様より温かいご指導と激励のお言葉を賜り、また、神戸ともみ組発足記念式の開催を待ち望んでくださるお声も多く頂戴致し、感謝に絶えません。
コロナ禍以降、日本を取り巻く世界情勢は大きな変革期を迎えております。
そんな中にあり、今後も尚一層に精進し、稲田朋美代議士という国士と共に、道義国家たる真の日本国を取り戻すべく更に猛進して参ります。

折しも、当日10月4日は、不肖私の誕生日にも当たり、講演会後の懇親会にて、皆様とご一緒させて頂けますれば幸甚に存じております。
懇親会にも最後まで稲田代議士に御臨席賜る事となっております。

全国の志を同じくされます憂国の国士の皆様にお集まりを頂き、「神戸ともみ組」発足を広く宣言させて頂くと共に、真の日本を取り戻すべく稲田朋美代議士に更に益々頑張って頂く為に、そして、その国家大義をお支えすべく、是非、多くの皆様に於かれましては御出席を頂けまして、想いを共有、更なる連携力を強めて参りたいと存じます。
多くの皆様のご出席をお待ち致しております。

お申し込みは弊会Facebookページへのメッセージにてお名前、ご住所、連絡先、参加費支払い方法、懇親会参加意向をお知らせください。宜しくお願い申し上げます。

お問い合わせも上記のいずれかか、もしくはお電話の場合は090-3723-4251(西山)でもお問い合わせにご対応いたします。

☆タイムスケジュール☆
・午後0時   集合  於:湊川神社本殿前
(本殿に向かって右側、非理法権天旗目印)
(参拝は受付を致しませんので直接本殿前にお越しください)
・午後0時10分 正式参拝
於:湊川神社御本殿
(玉串奉奠:稲田朋美代議士、山下弘枝会長)
・午後0時30分 講演会受付開始
於:湊川神社内楠公会館2階・青雲の間ロビー
・午後1時   神戸ともみ組会長・山下より発足挨拶
        来賓挨拶
        稲田朋美代議士講演
        神戸ともみ組入会のご案内
        名刺交換など
・午後3時    発足式終了
☆会費:三千円(玉串料・会場使用料・お飲み物(ペットボトル))
※ペットボトルについてお茶以外をご希望の方はお申し込み時にご相談ください。
※講演会での食事の提供はございません。各自、講演会までに昼食をお済ませいただきご参加ください。
懇親会へもご参加される方はお昼は軽めにお済ませ頂く事をお勧めさせていただきます。

午後3時半   懇親会  於:がんこJR神戸駅店
午後5時半   散会
※懇親会飲食代は別途承ります(予算:三千円、飲み放題付き)

※楠公会館青雲の間は60名、がんこJR神戸駅店は20名を予定しています。
先着順として受け付け、申し込み多数の場合は予定を超えて限界まで対応いたします。
万が一、対応人数の限界を超えた場合は「神戸ともみ組会員(当日ご入会の方も含む)」を優先させていただきますのであらかじめご承知おきください。

以上 神戸ともみ組会長・山下弘枝



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楠木正成(大楠公)の山車人形


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんが香取市を訪問。


佐原新宿東関戸区にて、楠木正成(大楠公)の山車人形を見学いたしました。
楠木正成末裔と山車人形の対面に、感動致しました。
準備された東関戸区の皆様には、感謝申し上げます。



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水郷佐原山車会館


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんが香取市を訪問。

山下弘枝さん、他5人と水郷佐原山車会館にいます。2018年6月30日 · 千葉県 香取市
本日、楠木正成(大楠公)末裔の一般社団法人楠公研究会会長・山下弘枝様が香取市を訪問。
水郷佐原山車会館を見学されました。
関係者の皆様、ありがとうございました。



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☆第27回楠公研究会「楠木氏の氏神・建水分神社 〜皇国の普遍の哲理への原点回帰・天之御中主大神と楠木氏〜」開催決定

第27回楠公研究会

☆第27回楠公研究会「楠木氏の氏神・建水分神社 〜皇国の普遍の哲理への原点回帰・天之御中主大神と楠木氏〜」開催決定のお知らせ☆

8月19日(水)午後2時より、大阪府南河内郡千早赤阪村の建水分神社にて「第27回楠公研究会」を開催させていただきます。

楠木氏の氏神の一社である建水分神社は、崇神天皇5年(322年)創建の古社であり、延喜式神名帳に「河内国石川郡水分神社」と記されている由緒在る神社です。主祭神は森羅万象宇宙すべてを司る宇宙根源神・天之御中主神であり大楠公も厚く崇敬しました。宇宙根源の哲理と皇国の普遍哲理とを深く理解していたからこその大楠公の生き様死に様があったのです。楠木一族の真柱となったものを学んでまいります。
※マスク着用等咳エチケット等の御協力に宜しくお願い申し上げます。

☆日時:令和2年8月19日(水)午後2時~
(※受付:午後1時45分~)
☆集合場所:建水分神社絵馬殿
(大阪府南河内郡千早赤阪村大字水分357番)
☆会費:有料会員(年会費3000円納入の方)3000円
非有料会員3500円(※玉串料・講義料・事務手数料込み)
☆当日タイムスケジュール☆
午後1時45分~ 建水分神社絵馬殿にて受付開始
午後2時~    正式参拝
午後2時半~   絵馬殿及び社務所内和室にて講義
午後4時     解散
午後5時~ 懇親会(希望者のみ、飲食代別途)
☆アクセス☆
公共交通機関利用
・近鉄長野線「富田林駅」下車、金剛バス(~20分)・水分停留所(徒歩1分)又は水分神社口停留所(徒歩0分)
・近鉄長野線 富田林駅下車、タクシー(~15分)
(※富田林駅前にタクシー乗場あり)
車(高速道)利用
西名阪道  藤井寺IC~国道170号線~国道309号線
阪 和 道   美原北IC・美原南IC~国道309号線
阪神高速  三宅~国道309号線

ご参加ご希望の方に於かれましては、弊会事務局📞090-3723-4251、✉️ s6616@yahoo.co.jp(担当:西山)までご連絡頂くか、下記よりお申し込みくださいませ。

☆第27回楠公研究会・参加申込



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香取神宮を参拝

香取神宮


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんが香取市を訪問。

香取神宮を参拝されました。

香取神宮では、午後3時から、夏越の大祓の「大祓式」が執り行われました。

酒席に御誘い頂き茨城の酒を交わして参りました。

日本の国体のルーツに迫る話に華が咲き。ついつい深酒に??

塩原 信夫様 お誘い頂きありがとう御座いました。
本日も暑い中 タイトなスケジュールと思います。
皆さま暑さ対策を万全に楽しんでください。



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長岡の楠公社(水戸浪士の毛塚)を参拝

長岡の楠公社-


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは茨城県を訪問され、茨城県茨城町長岡の楠公社(水戸浪士の毛塚)を参拝されました。
参拝後、茨城県庁を表敬訪問されました。

大老・井伊直弼襲撃を企てた水戸浪士が、江戸へ向かう途中、南北朝時代の尊皇の武将・楠木正成(大楠公)一族の忠誠にならい、髪の毛を断ち切り、長岡宿へ埋めて、襲撃の成功を祈りました。

そして、1860(安政7)年3月3日、江戸城桜田門外にて、水戸浪士17名と薩摩藩の有村次左衛門が、大老・井伊直弼を暗殺しました。

明治になってから、長岡の住民が、埋めてあった水戸浪士の毛を掘り返して、長岡字天徳寺に塚を作って埋めました。

そして、塚の上に、楠公社を建立しました。

水戸浪士の毛塚の隣には、石碑が建っていて、金子孫二郎・高橋多一郎の他、井伊直弼を襲撃した水戸浪士17名と薩摩藩の有村次左衛門の名が刻まれています。

高橋多一郎が詠んだ歌が刻まれている石碑が、垣根の陰にあります。

「菊水の 清き流れを長岡に 汲みて御國の塵を洗わん」

桜田門外の変に向かう前に、この長岡の地で、高橋多一郎が詠んだ歌です。

高橋多一郎は、桜田門外の変の実行部隊では無いが、桜田門外の変後、大阪四天王寺にて追手に捕らえられそうになり、子と一緒に自刃しました。

大阪四天王寺にての自刃の際、高橋多一郎が詠んだ時世の句です。

「鳥が鳴く 東健夫の まごころは 鹿島の里の あなたぞと知れ」

この水戸浪士の毛塚は、1974年9月14日に、茨城町の史跡に指定されました。

毎年、旧暦の3月3日には、氏子によって、慰霊祭が行われるそうです。

境内には、「茨城百景楠公社」の碑が建っています。

今は住宅が建って、景色が遮られてしまったが、かつては、眼下に涸沼や田園地帯を見渡せる景勝地だったと思われます。



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御神託を受け、日本武尊の軌跡巡拝

日本武尊


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは伊吹山頂にいます。

伊吹山頂にて、今般の一切の禍を封印すべく。
「伊吹山頂の荒ぶる神の真の姿 ~首都圏緊急事態宣言解除の日・令和2年6月19日に下った御神託を受け、日本武尊の軌跡巡拝~」

令和2年6月19日、最後に残されていた首都圏緊急事態宣言解除が決定。
実は、その決定の半月前、宣言解除日決定前に、6月19日に伊吹山頂の日本武尊の聖蹟を拝するよう御神託を感じ、雨模様の天候ではありながら決行した。

それは、遡る事約半月前の伊吹山山頂を目前にした折、6月19日に改めて来るよう御神託が下されたと確信していたからである。

東国征伐を終えて間もなく、日本武尊は、結婚の約束をしていた尾張国造家の娘・宮簀媛と結婚をする。
景行天皇40年、日本武尊は近江の胆吹山(いぶきやま)に、在地大豪族・伊福氏が祖神として祀る荒神の存在を聞き、かような神等素手で退治し、伊福氏等難無く服従させてやるとばかりに、倭姫より身から離さぬようにと授けられた天叢雲剣を外して妻の宮簀媛(みやずひめ)の実家である尾張国造家、則ち、現在の熱田神宮宮司家に置き、徒歩で向かわれた。

伊福氏とは、出雲より、「息吹」というたたら製鉄の技術をここ不破の関一帯に伝え、この地に根付き、代々、たたら製鉄技術によって大きな権威を誇った一族で、彼らが祖神として祀ったのが八岐大蛇の荒御魂であった。

また、天照大御神の御代まで遡れば、素戔嗚尊が出雲に於いて八岐大蛇を退治、その尾から出てきた天叢雲剣を天照大御神に捧げた処、天照大御神は「これは、以前、伊吹山頂にて私が無くしてしまった剣である」と大層喜ばれたと伝わる。

日本武尊より以前に、既に天照大御神御自身が伊吹山頂を目指された事も判明したが、何故、神々が伊吹山頂を目指されたか、その理由とは、大和朝廷の更なる基盤強化の一つとして、伊福氏の持つ特殊技術を大和朝廷に組み込ませるという重要課題であったからに相違無い。

日本武尊が胆吹山に赴く道中、牛程の大きな白い猪に出会う。
武尊は、「これは山の神の家来だな。
帰り道で相手になってやろう」と大きな声で威嚇してやり過ごした。

間も無く、胆吹山に登頂しようとするや否や、突然、視界を遮る濃い霧と大風と共に激しい雹が降り出し行く手を阻んだ。
実は白い猪は山の神の家来ではなく山の神そのものであり、日本武尊が山神を軽んじる発言をしたのみならず、山の神を威嚇した為に、遂に山の神の逆鱗に触れ、山の神は毒気を放つ大蛇となって道を塞いだ。

この時に受けた毒気が日本武尊に致命的打撃を与える事となってしまう。

雹に打たれ、寒さの為に体力を著しく消耗した日本武尊は、養老山系の霊泉「居醒泉」を飲み、山麓の薬草を頂き、一旦、正気を取り戻したものの、その後も体調は悪化し続けた。

その後も製鉄神を従えるべく鉱脈に沿って行軍するも、現在の養老山麓の多芸野では、「今は歩くこともままならなず、足がたぎたぎと軋む」と弱音を漏らしている。

その行軍と途上、鈴鹿国能褒野にて、最期の時を知った日本武尊は、「大和は国のまほろば たたなづく 青垣山こもれる 大和しうるはし」と辞世の御歌を遺し、没する。

武尊の死の報を聞いた妻や子供たちは、野褒野に駆け付けた処、その御陵から大きな白鳥に姿を変えた日本武尊は天空高く翔び立ち、棺には武尊の衣のみが残された。

白鳥は、が能褒野、大和琴弾原、河内古市を経て天空へと天翔けていった。

実は、今年に入ってから、出雲の神々が降臨する稲佐浜、そして、伊福氏が同じく崇めた金山彦神を祀る南宮大社に於いて、大きな白鳥からの御神託を拝受した。

今般の伊吹山頂は、その御神威を遵守すべく、必ず登頂せねばならぬものであった。
二日に亘り、登頂参拝を行ったが、一日目は日本武尊の和御魂を、二日目は荒御魂を、それぞれの姿を変えてお見せになられた。
殊、あらん限りの御神威を放出してその偉大さを我々に見せ付けられた荒御魂の凄まじさは言葉では表現できるものではない。
同時に、これ程の大きなお力を以て、現代に於いても尚、国土国民を御守りくださっている事への感謝と畏怖の念を新たにした。

山頂には、やはり出雲との関わりの深さを示すべく、素戔嗚尊に垂迹したとされる薬師如来を本尊とする伊吹山寺奥の院「覚心堂」が建立されていた。

下山する時、何度か、荒ぶる何かに神憑りされたような、まるで発狂し暴発しそうになる衝動に駆られた。
すぐさま、これは八岐大蛇の荒御魂による神憑りだな、と察し、それを振り切るべく、走った。
すると、走る私のすぐ傍らに明らかなる人の気配を感じた。
振り返り見ると、同行していたカメラマンは遠く先の方で霧に白く霞みつつ、のんびりと下山している。

人が居たのは気のせいかと、気を取り直し、更に、前を向き歩くと、再びすぐ横で気配を感じる。
足音と衣擦れの音だ。
あれは日本武尊の御神霊が傍に降臨されて下さり、八岐大蛇の荒御魂の神憑りからお護り下さっていたのだと今更ながら確信している。

最強の武神・日本武尊。
その申し子であったのが織田信長である。
信長が掲げた「天下布武」の真意とは、群雄割拠する動乱の世を帝の下に於いて、日本武尊の武の御神徳を世に布く事により、国家を一つにまとめ、平安の世を造る、という信長の強い意志の現れであり、日本武尊への誓いである。
その誓いを立てると共に、信長は伊吹山麓に、日本武尊の御神霊をお慰めし、また、その御神威を頂く為に、山の神の毒気にやられた日本武尊を助けた薬草を植えさせ、一大薬草園も築いている。

現在は、伊吹山の西南麓と東南麓に、それぞれ伊夫岐神社、伊富岐神社が鎮座し、山頂の八岐大蛇の荒御魂を今も奉斎している。

出雲と伊吹山、日本武尊と織田信長。
その系譜が明らかとなった今般の拝礼であった。

多くの事をご教授くださった神々に深謝の絶えぬ思いである。



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武漢禍・総締め括りは、いよいよ最終章

津島神社


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは津島神社にいます。6月13日 3:40 ・ 津島市

武漢禍総締め括りはいよいよ最終章。

津島神社境内の南西隅に鎮座する摂社・彌五郎殿。
私にとっては、こちらの社殿は津島神社境内社の中でも特筆せねばならぬ社だ。

当初は、牛頭天王を奉斎する祇園八坂神社社家・紀姓堀田家祖神「武内宿禰命」と、鋼鉄神「大巳貴命」とを祀る式内社「國玉神社」として、現津島神社元宮・居森社に創建されたのが創祀。(國玉神社鎮座地には諸説在り)

鎌倉開府、そして建武中興瓦解等、武家政権の台頭により國玉神社は衰退していった。
そんな中、吉野朝帝・後村上院の御代に当たる正平元年(1346年)7月13日、津島神社神主にして当時の堀田家当主・堀田彌五郎正泰が夢告を得、その神託を受けて國玉神社の社殿を現柏樹社鎮座地に造替、遷座し、その相殿に祖神・武内宿禰を奉斎した。
これにより、國玉神社社号は、「彌五郎殿社」とか称されるようになる。

堀田家は従来、紀氏を名乗っていたが、正応2年(1289年)、正泰の父・之高が拝領した中島郡堀田村に因み堀田氏と改姓したと伝わる。

尚、正平造替の折に、伯耆国・大原真守の作で、正泰の佩刀(現津島神社社宝)が、正泰自身によって寄進、奉納されている。
吉野朝、そして伯耆国といえば、言わずと知れた楠木一族や堀田一族と共に官軍側についた名和長年が思い起こされる。
もしやすると、正泰は、そういった関わり合いから、敢えて他でも無い伯耆国にて太刀を造らせ奉納したのかもしれぬ。
ちなみに、この太刀は、現在、津島神社にて収蔵され重要文化財に指定されている。

正平3年(1348年)、楠木正行に従って四條畷合戦に参陣、共に戦死している事から、我が一族ともゆかりの深き地である。

当然ながら、津島神社を氏神として厚く崇敬した織田氏は、彌五郎社の由緒を始め、津島神社が吉野朝の一大拠点であった事を知った上で自らの氏神としている。
かくして、津島神社の御神紋が織田氏の家紋となり、信長もまた、吉野朝崇敬者であり、その中興結実の為の一助を担わんとしたのである。

何はともあれ、巡拝のフィナーレには必ず、我が祖神に辿り着くのはなんとも不思議だ。

さて、病禍退散の最も御神威高き神社・津島神社をご紹介させて頂いてたが、最もお伝えしたき事は、日本という国の2680年にも及ぶ長い歴史とは、病禍や天災等の自然災害と共に歩んできたものであり、それらを封じんとして自然を畏れ敬意を奉り、森羅万象を神として崇め、それらを司る御神威に祈りを捧げる事によって、国土と国民を安んじてきたという事に尽きる。
建国以来ほんの数百年如きの歴史しか持たぬ某国とは比べようもないほどの、智恵の蓄積がある。
歴史とは、とりも直さず、先人の叡智の累積であり、結晶である。
今般の新型ウイルス騒動にしても、歴史の浅い各国と同レベル目線で見なして考えてしまっては、判断を大いに誤ってしまう。
ウイルス問題についても、諸外国は諸外国、にほんには日本の現状の違いと今後の対策の違いはなかてはならない。
我々日本人には、本朝開闢以来絶える事無き、叡智を蓄えているのだ。
そして、皇祖皇宗より男系、則ち非常に御神威の偉大なる陽神の御魂のみによって脈々と御神威が育まれ継承され、それによって、目に見えぬ結界が貼られている。
日本はなぜ他国に類の無き程に、病禍の被害が少ないままに収束していっているのか。
それがその答えである。
今後は、慌てることなく、冷静なる判断を迎えたい。
もはやインバウンドなる造語を断捨離する時に至った。
外ばかり向いていた目を、一度、内に回してみよう。
この大きな節目は、原点回帰が求められる事となる。
これは、日本は日本のやり方で経済活動に勤しみ、日本の伝統技術を重んじ継承する為の方向へ転換する導きであるる。
先人らが乗り越えてきた苦難と努力、その大いなる成果に思いを致し、日本人である事の自負と誇りを胸に、これからは本腰を入れて経済を回していこう。

そして、やはりここでも金鵄が山に、社殿に現れた。



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武漢禍・総締め括りの段 その3

津島神社


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは津島神社にいます。6月11日 3:54 ・ 津島市

武漢禍総締め括り最終段。

禍退散総括りの参拝に上がらせて頂いた津島神社の元宮「居森社」より。
この地は、全国約三千天王社総本社の全ての始まりの地であり、病禍退散祈願を捧げるに当たり、非常に重要な要めとなる地なのである。

津島神社は、嘗て「津島牛頭天王社」と称された。
そもそも、牛頭天王とは、遠くインド天竺の五精舎(仏教の黎明期、古代インドに建造された5つの寺院)の一つで、釈迦が説法を施した「祇樹給孤独園精舎(ぎじゅぎっこどくおんしょうじゃ)」、則ち「祇園精舎」の守護神の事で、その名は、仏教教典「法華経」「華厳経」等の経文に記載される「牛頭栴檀(ごずせんだん」なる香料に由来する。
牛頭栴檀とは、南インドのヒマラヤ山脈に横たわる牛頭山に自生する香木から精製した香料のことで、その麝香に似た馥郁が熱病を除く効能を有している。
天王信仰は、この効能と疫病退散信仰とが結び付き、形成されていった。

仏教の影響の強さは、津島神社社伝を見ても明らかである。
社伝によれば、人皇七代孝霊天皇45年年(紀元前245年)に、素戔嗚尊の荒御魂は出雲日御碕に鎮まる一方、和御魂は一旦対馬に鎮まった後、欽明天皇元年(540年)に、現在の居森社に鎮まったとされる。
素戔嗚尊が牛頭天王として津島に降臨された事や、降臨された年代、此地に至られるまでの聖蹟を辿れば、仏教が現在の津島に伝来したのとほぼ同時に、牛頭天王が素戔嗚尊に垂迹され、その信仰が此地へ齎され、お祀りされる事となったと思われる。
また、本地垂迹としては、薬師如来とも同視されている。

素戔嗚尊は、仏教のみならず、陰陽道の北極星(北辰=太極)陰陽五行説の強い影響下、「天道神」とも同一視されたので、夏越と年越の大祓では特に重視されたのだった。
そして、「備後風土記」にも在る通り、武塔神=素戔嗚尊=牛頭天王であり、その御神威が余りにも強過ぎるが故に、荒御魂が暴発すれば疫病を蔓延させ、和・奇・幸御魂が施されれば、疫病を封じもする大いなる御神威を持っているのだ。

古代には、津島神社の鎮座する周辺のほとんどは海に面していた事から、この地は各地への重要な航路に繋がる港であった。
上述の通り、素戔嗚尊をお祀りする神社が御祭神を「牛頭天王」と表わす場合は、仏教との習合が見られる事が多い。

その牛頭天王を載せた神船が津島の港に着いた時、蘇民将来の裔孫に当たる老女が霊鳩の御神託を受け、牛頭天王を津島の森の中に斎き奉った事により津島神社元宮が鎮座、「居森社」と称され、これが津島神社の創祀となる。

また、もう一つ、忘れてならぬのが出雲神の系譜である。
そこを踏まえて鑑みれば、不破の関周辺が金山大神崇敬の伝播地となった事も必然であった事が判る。

吉野朝時代には、津島神社は官軍に属した。
その為、後醍醐天皇の皇孫にして宗良親王皇子・尹良(これなが)親王の御子・正二位大納言良王(ながおう)が戦乱から逃れて津島にご来臨され、更にその子・良新(ながたか)が津島神社の神職を務めている。
また、後村上院の御代である建徳元年(1370年)には、正一位の神階を授けられており、中世の津島神社の歴史は吉野朝官軍側の基盤の一つとされた。
また、戦国期には、織田氏が氏神とした事からも、信長が吉野朝、則ち、皇統に重きを置いた事は明らかである。
信長が掲げた「天下布武」の真の意義についても、後日、お伝えさせて頂く。
謂わば、我が祖・楠公にも繋がる強く有難き御神縁を感じるのであるが、何よりも、吉野朝廷によって為された神宮を始め此処津島神社等の景仰復興のプロジェクトを鑑みれば、吉野朝廷が国體中興として目指した国造りの意義がより一層はっきりと浮かび上がってくる。
そう。
鎌倉以降に台頭してきた武家のほとんどは、不勉強により理解できていたなかったのだろうが、日本の歴史とは、神々に祈りを捧げつつ、自然災害と共に在り続けたものであった。
日本の国家を、そして国民を平和に安らかに治める為に、最も肝要となるのが神々の和・荒・奇・幸御魂の中取りもち、すめらみことの尊きお役目であった事は言うまでもない。

この日は、どこを撮っても、羽を広げた金の鳥が写りこんだ。
そして、帰路、ふと見上げた金鵄が鎮まる南宮山頂に、大きく翼を広げた神鳥を見た。
二千年の時を超え、古代と現代の時空とその祈りとが交叉するのを強く感じた。

間も無く大祓。
日本再興、その黎明の時は目前に迫る。



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武漢禍・総締め括りの段 その2

非理法権天


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楠公研究会代表理事・楠木正成公三男正儀流25代嫡孫・山下弘枝さんは津島神社にいます。6月9日 3:58 ・ 津島市 ・
武漢禍総締め括りの段その2。

禍退散総括りの参拝に上がらせて頂いた全国約三千天王社総本社・津島神社より。
元来「蘇民社」と称された素戔嗚尊の和御魂を祀る「和御魂社」、そして、尊の奇御魂を祀る元宮「柏樹社」。

現海部郡「姥が森」に鎮座していた「蘇民社」を津島神社境内に遷座している由緒から、和御魂社元宮に鎮座する姥が森「姥社」と和御魂社との祭礼は同じ縁日となっている。

言い伝えによると、素戔嗚尊が津島にご来臨になられた折、此処姥が森にて、とある老婆が尊をお祀りするよう御神託を蒙った事により社殿を創建。
その後も、姥が森に嘗て存在していた岩窟に、蘇民将来という人物の末裔が住み続けた、と伝わっている。

着目すべきは、古来より素戔嗚尊が、牛頭天王のみならず、蘇民将来信仰の神としても同一視され信仰されてきた事。

「蘇民将来」とは、日本各地に伝わる疫病退散の御神威を戴く民間信仰として知られる。

この信仰の発祥となっているのは、「備後風土記」の以下の記録である。

昔、伊勢の地に、蘇民将来という者とその弟・巨旦(こたん)将来なる兄弟が住んでいた。
ある日、この地に、武塔神(むとうしん)と名乗る神が、求婚の旅の途上に伊勢に降臨し、二人に宿を求めた。
裕福な弟・巨旦将来はこれを拒み、貧しい兄・蘇民将来は一夜の宿を提供し、手厚くもてなした。
武塔神は大いに感激し、兄・蘇民将来とその娘らの腰に茅の輪を付けさせ、「吾は速須佐雄の神(素戔嗚尊)なり。後の世に疫病あらば、汝、蘇民将来の子孫と云ひて、茅の輪を以ちて腰に着けたる人は免れなむ」と言い残し立ち去った。
間も無く、弟一族は皆疫病で死に絶えてしまうが、兄一族は、誰も病禍に見舞われる事無く、大いに栄え続けた。
武塔神、則ち、素戔嗚尊とは、邪者を追い祓う神であったのだ。
以来、伊勢地方では、玄関に注連縄を以て結界を張ると共に、家の中に邪霊が入るのを防ぐ魔除の呪符として「蘇民将来子孫家門」 札を掲げるようになった。

実際、古事記に於いても、素戔嗚尊が高天原から追放された後、宿を求めて彷徨う場面が描かれている。
この事蹟から備後風土記の記録である蘇民将来伝承と仏教伝来によって齎された本地垂迹の影響を受けた牛頭天王信仰等が習合し、現在の蘇民将来信仰や天王信仰に繋がっていったものと思われるが、いずれにせよ、過去の日本の国史を顧みれば、此様なる禍下に於いてこそ、神々への祈りと祭りは必須であり、執り行わなねばならぬものである。

今般の武漢禍たる疫病到来と共に、平時には封印されていた人々各々の真の姿が自ずとさらけ出された。
そしてその結果、人と人との縁の去就という現象が非常に活発に起こったが、これもまた、素戔嗚尊の荒御魂、和御魂、奇御魂、幸御魂それぞれの強き御神威によるものであった事を改めて強く実感している。
四御魂は、森羅万象全エネルギーの根源たる天之御中主神(あまのみなかぬし)によって司られている自然の摂理であり、自然の一部を成す我々人間もまた、これら四御魂の自然摂理のもとに司られている。

ご存知の如く、我が祖大楠公が厚く崇敬したのは、楠氏氏神・建水分神社であり、その御祭神・天之御中主神であったのは言うまでもない。

近世の学者らが、「後世の捏造だ」等とイチャモンを付けている、大楠公旗印「非理法権天」旗の意義も、大楠公が天之御中主神を信仰し、万物は宇宙摂理のもとにある事を悟っていた事に尽きる。

そして、この摂理を理解できて初めて、大楠公の偉大なる旗印の真の意義を理解できるのである。

大宇宙という森羅万象のもと、人間が自然の一部であれば、病禍を齎らすウイルスや細菌も自然の一つであり、それらは互いに影響し合い、共生してきた。
それが自然の一部たる生物の本質であり、宿業だ。
つまり、地球上、否、宇宙という視野から観るに、ウイルスや細菌等をこの世から完全に駆逐し、無菌状態にするなど、宇宙摂理に反しており、当然ながら不可能な事だ。
もし、人間達が、この世を無菌状態に出来ると勘違いしているならば、それはとんでも無い慢心であり、正さねばならない。

間も無く今月21日には、夏期の窮極点に達し、夏越大祓と共に、自然界は再び冬へ向けてシフトし始める。
冬期が極まるに従い、各種インフルエンザや各種コロナ等低温を好む多種多様のウイルスや細菌が活発化する。
自粛という冬眠をし続けているうちに、次なる冬が到来し、永遠に冬眠し続けねばならなくなる。

人間が自然の一部であり、それらと共存しているという宇宙の真理を、一日も早く人々が悟ってくれる事を切に願いつつ、神々へ祈りを捧げさせて頂いた。



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