
元弘元年8月24日(1331年9月26日)、後醍醐天皇は側近とともに京を脱出した。
幕府側の追跡をかわすために天皇に変装した花山院師賢は比叡山へ向かった。
天皇は四条隆資らとともに奈良東大寺を経て鷲峰山金胎寺に移り8月27日(9月29日)には笠置山に至った。
後醍醐天皇が笠置山に籠ると、笠置寺の衆徒や近国の豪族らが兵を率いて駆けつけてきたが、名ある武士や、百騎、二百騎を率いた大名などは一人も来なかった。
そのため、後醍醐天皇は皇居の警備もままならないと不安になり、心配になって休んだ際に夢を見た。
その夢の中では、庭に南向きに枝が伸びた大きな木があり、その下には官人が位の順に座っていたが南に設けられていた上座にはまだ誰も座っておらず、その席は誰のために設けられたものなのかと疑問に思っていた。
すると童子が来て「その席は後醍醐天皇のために設けられたものだ」と言って空に上って行っていなくなってしまった。
夢から覚めて、後醍醐天皇は夢の意味を考えていると「木」に「南」と書くと「楠」という字になることに気付き、寺の衆徒にこの近辺に楠という武士はいるかと尋ねたところ、 河内国石川郡金剛山(現在の大阪府南河内郡千早赤阪村)に橘諸兄の子孫とされる楠木正成(楠正成)という者がいるというので、後醍醐天皇はその夢に納得し、すぐさま楠木正成を笠置山に呼び寄せる事にした。


