
万里小路藤房が勅使として笠置山から河内に向かい、正成の館に着いてその事情を説明した。
すると、楠木正成は「弓矢取る身であれば、これほど名誉なことはなく、是非の思案にも及ばない」と快諾した。
そして、楠木正成は人に気が付かれないようにすぐさま河内を出て、笠置山に参内した。
楠木正成は後醍醐天皇から勅使派遣より時を置かずに参内したことを褒められ、そのうえで楠木正成がどのような計画を持ち、勝負を一気に決めて天下を太平にするのかを問われた。
楠木正成はこの問いに対し、「幕府の大逆は天の責めを招き、衰乱の機会に乗られて天誅が下されます。
その好機なら必ず滅ぼすことができます。
天下草創には武略と智謀の2つがあります。
勢いに任せて合戦を行えば、たとえ60余州の軍勢をもってしても武蔵・相摸の領国に勝利を得ることはできないでしょう。
もし何らかの策を用いて戦えば、幕府は守勢に回って欺きやすくなり、怖れるに足らなくなるでしょう。
合戦の常は個々の勝敗にこだわらないことです。
(たとえ戦いで敗れたとしても)楠木正成がたった一人生存していれば、後醍醐天皇の聖運が必ず開けると御思い下さい」と述べた。
そして、楠木正成は河内に戻り、赤坂城(下赤坂城)で挙兵した。


